やるせない読書日記
書評を中心に映画・音楽評・散歩などの身辺雑記
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ビートたけしのみんなゴミだった。
たけしの昭和58年刊行の本。たけしは明大工学部に入学後、すぐ退学。新宿でフーテンを
五年やってから浅草に辿りつく。そこら辺の時代の話。昔読んだことがあって面白かった本。
アマゾンで55円。横尾忠則が装丁している。これが横尾らしくキッチュでいいですわん。
必死こいた読書ではなかったので楽しかった。北野武は1947年生まれなので新宿をフラフラ
していたのは六十年代後半から七十年代初頭。なんでドロップアウトしたかは実に曖昧で芸術家
になりたかったのだ。多くの人の行動のようにちゃんとした動機なんかないのだ。新宿のジャズ喫茶
にはお芸術青年がたむろしていてたけしもその一員。ビザールというジャズ喫茶のボーイもやってい
たし、いかさま麻雀にも手を染めて日払いのバイトでその日を暮らす。ジャズ喫茶ビレッジゲートでは
永山則夫がボーイをやっていた。
大体、そんなところにたむろしている連中ってのは、いい家のガキが多いわけ。大学教授のせがれだ
とか、地方の金持ちのボンボンとかってサ。だから、テキトーに四、五年は遊んで、ボヘミアンみたいに
装ってるんだけど、時期がくると家に帰って家を継いだりとか、要領のいいやつはいいとこへ就職したり
医者になったり。何もないのはオレだけだよ。オレのおやじペンキ屋だもの。何もねえの。
芸術・文化にだまされたと思った。汚ねえな、このやろうって。あいつらのせいでオレ、あの頃の五年間
損したと思っている。結局、オレは何もわけがわからなかったままなんだもの。『坊ちゃん』を買って芸術家
になろうと思っていたんだから。ミンガスがどうのパーカーがこうの、サルトルがどうしたカフカがこうしたって
全然わかってない。『直立猿人』どころじゃないよ。ただの新宿のゴミ。ジャズ喫茶のゴミだよ。きたねえな。
私小説作家が東京で貧乏しているが田舎では大金持ちの倅、新左翼運動の活動家が大学教授や弁護士
の息子とか相場が決まっている。大体、貧乏人の子供なんて生活に追われてる親の情けない姿見てるか
ら怖くて社会の枠から踏み出すようなことできない。自分も親みたいに貧乏になったらいやではないか。
新宿のフーテンもそんなもんだったということだ。
新宿に見切りをつけてたけしは浅草に流れ着く。新宿はゴミばっかりだったが浅草は馬鹿がとぐろを巻いて
いる。漫才師の大半は田舎出の中卒でまず漢字がろくに読めないほど頭が悪い。
才能もクソもない。浅草はゴミにもならない「屁」みたいなのだらけだったわけよ。いってみれば、田舎者の
溜まり場だった。一本骨の足りない田舎者ばっかり。たんなるばかで、罪のないような顔してる。
だけどそれじゃお笑いでもなんでもない。
浅草っていう「屁」の吹きだまりに来ちゃって、オレは「大変なとこへ来たな」と思ったね。新宿のゴミだと
思ってたら、まだその上を行くやつらが実在したんだもん。
そうは言ってもたけしは「芸人」が好きで浅草で「芸人」であったことに多大な愛着の念を持っている。
新宿よりは自分の生まれた足立区に地域的、階層的に親近感があるのかもしれない。
自分は何者だと言い切れる人間はごくわずかだ。何にもなりきれず大方の人間は死んでいくのだがゴミ
以下の人間でも芸人であれば「俺は芸人だ」。自分が確定した人間であることの安堵感がある。たけし
が自分を芸人というときそういう安堵感を感じる。
「漫才病棟」を読んでも分るがたけしは漫才のネタを考えるのが好きでこの本でも漫才のネタの成立過程
を書いている。「漫才病棟」によると最初の出だしと落ちを決めてボケの台詞でツッコミがどう反応するか
予想しながら落ちまで持っていく。全部台詞が決まっているわけでもないようでボケもツッコミもかなり
修練が必要なようだ。この本では漫才の台詞に(これはたけしの方だけできよしの方は必要ではない)
従来の馬鹿馬鹿しい受け答えではなくもう少し知性的な言葉を添えることによって笑いをもっと面白く
できること説いている。
たとえば、首をこう、ギュッとはさまれたりして、ギロチンにかかったみたいな感じになったときに、
「ギロチンじゃないか、これは」
っていうのと、
「ばか野郎!オレはマリー・アントワネットか!」
っていうのと、違いがある。
「おやじは樺太の小学校だった」
っていうと、すかさず、
「おまえのおやじは間宮林蔵か」
とかね。つまり、漫才を教養的にするってことを考えなくちゃいけない。漫才をきいているほうは、その
くらいの固有名詞なら確実に知ってるレベルにあるんだから。
少なくとも大学受験の歴史には必要不可欠ぐらいの知識がなきゃいけない。
確かに昔の漫才なんてお前の顔が悪いの女房がブスだのそんなレベルだった。まあそれを今の笑いに
変えたのはたけしの功績だ。たけしの映画を見ると漫才のネタと同じ方法で映画のシナリオを考えてい
るのが分る。
ビートたけしは漫才だけじゃ収まらなくなって、科学番組やったり絵を描いたり映画を作ったりするように
なった。でもまあ僕には大してどれもこれも面白くない。映画を作るときは「世界の黒澤」なんかに騙され
ないで「あんなもの娯楽映画でも撮ってりゃいいんだ。評論家におだてられて自分が大した巨匠だと思い
込んだのが間違いだっつうの」くらいには言って欲しいんですがねえ。
その他、タレントやヤクザの話など笑える。
ツービートは今見ても面白い。
『コマネチ。』ワラ)死刑制度反対 裕
http://yabusaka.moo.jp/nagayamanorio.htm
matome.naver.jp/odai/2135102083173376601
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&biw=&bih=&q=永山則夫&gbv=2&oq=ながやま&gs_l=heirloom-hp.1.2.0i4l10.455028.460549.0.470001.8.8.0.0.0.0.754.2377.0j5j0j1j0j1j1.8.0....0...1ac.1j4.34.heirloom-hp..0.8.2372.rNmclZA1KuA Google検索